2017年 08月 08日
誤字からの考察
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パソでメールを打っていた。
文章内で「しんぞうに悪いですね」と打とうとして、
つい「じんぞうに悪いですね」と打ち間違えてしまった。
しょっちゅうやる誤字の類いではあるのだけど、
ちょっと可笑しいなと思った。
心臓と腎臓を間違っただけで、
何と言うか・・・いきなり深刻感が生じたからである。
例えば、あるふたりが雑談をしている場面で、
「やめてくださいよ〜、しんぞうに悪いじゃないですか」
と言うのは何の抵抗もないが、
「やめてくださいよ〜、じんぞうに悪いじゃないですか」
と言った瞬間、相手のわずかな動揺は想像できるのではないか。
「え‥おま、大丈夫か?」
とかになりそうじゃないですか?
思い立って、それぞれの慣用句を調べてみると、
心臓は、「心臓が強い、弱い」「心臓に毛がはえている」などと同等に、
なんと「心」も含まれて数十個もの慣用句がある。
対して、腎臓の慣用句はなかった。
ここでもう勝負はあった。
そうか、しんぞう=心なのか。
これはちょっとした反則技とも思えるが、いたしかたない。
よく自分でも知っているような「気が」している「心」だから、
どう使ってもある種の親しみを感じるのだろう。
心臓=心=ハートの活用形は市民権を得ている。
また、心臓は「どきどきした」や「ときめいた」にも通じ、
どこかステキな印象にもつながるのに対して、
腎臓で何かを表現することはきわめて難しい。
腎臓ばかりではない。
肝臓や、肺、脳だってかなわない。
胃腸は多少の汎用性があるようだけど、ライバルではない。
心臓は特別なのだ。
内蔵界のスターなのだ。
何をやっても許される。
と、なぜか、そんな無理矢理な納得の世界をさまよった夏のある日。
なんの役にも立たないけどね。
by ashi-bann
| 2017-08-08 00:26
| 日記だかエッセイだか
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